金田 実 写真荘の主人、金田実は蔵の写真を撮りつづけ、人々に「喜多方のアイデンティティーは蔵だ」と訴えつづけた。 その行動が全国に“蔵の町・喜多方”の存在を知らせるきっかけになった。
写真荘の主人、金田実は蔵の写真を撮りつづけ、人々に「喜多方のアイデンティティーは蔵だ」と訴えつづけた。 その行動が全国に“蔵の町・喜多方”の存在を知らせるきっかけになった。
当時の市長・唐橋東氏は各地の集会で「使われていない蔵を壊し、駐車場にして商店街を活性化しよう」とよびかけていた。ある晩、金田実はその市長を自宅に呼び、座敷の畳一面に蔵の写真を並べ、この言葉を投げかけた。 「あんた、この蔵たちを殺す気かい!」 唐橋東市長は、額縁に入った蔵たちの美しさにハッと我にかえり、それ以降、蔵擁護派へと転身する。そして金田の写真展に補助金を出すだけてなく、自作の短歌まで寄せている。
花咲いて住まいも店も蔵がまえ酒蔵のなかつつ抜けに稲田風小春日の露地をまたいて醸造蔵
金田実は、「倉敷の蔵は華やか過ぎて好きになれない」と常々いっていた。西の瀟洒な蔵より、北国の土臭く落ち着きのある蔵を愛していたようだ。
まだ高度成長期のなごりが残り、日本中が開発ブームの真っ只中にあった時に、自らの町の古き良き物に金田はしっかりとした視線を向けている。
金田は市街地の裏通りから農村までくまなく蔵を見て歩き、ひっそりと息をひそめ蔵とともに暮らす人々の姿を発見している。
先祖が心を込めてつくった蔵を、金田は、武士にとっての城にたとえている。
「新日本紀行・蔵ずまいの町」が放送された翌年、昭和51年の金田からの年賀状の文面だ。喜多方の蔵の良さを多くの人に知ってもらいたいと願っていたはずなのに、皮肉というかからかいというか。なにか一言いわないと気が済まない金田の性格がよく表れている。それとも本当に、多くの人が訪れる喧喋に嫌気がさしていたのだろうか。
(出典「蔵を知るミニ百科」 制作 喜多方蔵の会 文 須磨章)
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