蔵の会を支えるもの

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喜多方市を象徴する蔵、「蔵の町喜多方」として多くの人々に知られる契機は、一写真芸術家の美的感性から生まれた芸術的美の追求と撮影からであり、写真として映像化された被写体の土蔵、蔵、座敷蔵であった。

蔵と共に身近かに生活を営む所持者には、蔵にかかわる特段の価値意識は少なく、あまりに日常的、平常的なものであり、芸術的対象とか文化遺産としてとらえるような、客観化された対象としては振り返ることは少なかった。

第二次世界大戦後の高度経済成長から生まれた住宅建築には、機能的、合理性の追求や、自然環境への適応と防災施工技術の改善や改良、新建材による構造の多様化と量産化をもたらし、供給される住まいは、ある意味の豊かさを受容でき得る場となり、蔵住まいを凌駕することになったとも言える。

しかし合理性や利便性、そして機能性においては優れているとはいえ、蔵の堅牢で重厚ななかに、素朴な美しさを表現しふるさととか、懐古的詩情を呼び起こしてくれるような蔵への心の誘いとは違い、住むものの心、心理的一面を療し読書や思索の場として吾に帰り、無の境地に浸る空間でなくなってきていることも否定できず、蔵や蔵住まいが再認識されるようになっている。

さらに衣食住を含め生活様式の変化は時代と歴史的流れの中で、蔵自体の機能を喪失させる一面を持っていた。蔵の機能は自家製の味噌醤油の醸造と貯蔵の蔵であり、年間の塩や干物、漬物置き場、冠婚葬祭や鎮守祭例の呼び呼ばれ(招待)に備えての膳椀などの置場。先祖の調度品や衣類の置き場、更には掛け軸等の美術、骨董品のおかれる収納蔵であった。

蔵の持つこれらの機能は、味噌醤油の市販品の購入によって無用となり、冠婚葬祭での宴会は料亭やホテル等の関係施設の利用から膳椀の備えを不用とし、古い長持ちや箪笥、戸棚などの調度品は現代建築からは不釣合として遠ざけられ、焼却されるものも多くなっている。

更に小作米の収納蔵、農閑期の手工製品(藁、竹、菅)の生産と貯蔵の蔵、漆器酸人の作業場としての蔵など、時代の生活様式の変化はその活用を離れ、かつての機能を失っている。それに現代の車社会の到来は自家用車の駐車場の設置から求められている空間の狭隘からの取り壊し破損、修理費用の高額な負担から、やむなく破却取り壊される蔵も少なくないようである。

現代感覚からくる居住空間としての土蔵や蔵には、上述のような多くの矛盾を内在せしめてはいるが、人々には何か新しい生き方の中に蔵住まいの良さを求めようとしていることも見落とす事ができない。そこには豊かさの意を問い直したり、心ある若者や住民の中には生活の中の矛盾と闘いながらしっかりと足元を凝視し、先人による蔵の建造はなんであったのか、生きることと蔵のかかわりあいをどう考えたらよいのか、蔵は私たちに何を求め考えてほしいのか、会員の多くはこれらの事を自らの力で考えること、創造することの大切さを感じとっているのも事実である。

この事は新たな時代に向けての蔵を創造する朋芽であり、思想の構築につながるものとして、今後の会の活動の軸になるものと考えている。蔵の会の設立は遠大な理想を潜め、単なる蔵や蔵座敷の歴史的構造的な解釈や調査研究の対象としてのみでなく新たな時代を志向し、先人の蔵への思い、心根を郷土の伝統的文化遺産として保存し、維持、継承、活用への道程を究め、思想的位置づけ(蔵の哲学的創造)とする思弁と時代にふさわしい創造的な歩みを定着させることが、地域社会や後継者への理解を深めさせ、継承の心を育む事につながると考えている。

(出典 「蔵に育まれた人々 明日をひらく 蔵の会」 文 伊藤 豊松)

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第二章

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