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喜多方の蔵を語る2

蔵は活きている

【赤坂氏】蔵を所有している方が蔵の価値を再発見しつつある時代でないでしょうか。そういう意味で、4千を超える蔵が、そのほとんどが眠っている状態だと思いますが、それを眠りから覚まして、また覚めていただいて、今喜多方に生きる人々のために、新しい時代の中でのさまざまな役割を求められつつあるのだと思います。

蔵の再稼働に向けて

【佐藤幹事長】蔵の利活用として、取り壊される蔵を昭和56年、今から40数年前に活用するように蔵の良さ例えば、デザイン的な良さ、その蔵が持っている機能、風に強い、保存性があるなど、その多目的な機能を活かし、倉庫としての作業蔵を新しく商業の営業所としても活用しているわけです。蔵の空間を考えると、映画館や美術館、あらゆるいろんな機能を試してきていない、逆に言えば何でも活用できるわけです。

もう一つ座敷蔵というのがあります。これは、稼いで働いて村民たちが財をなしで作ったもので、代表的な蔵座敷は甲斐本家です。これを蔵の会でなんとか残そうとして、市に買っていただいた。喜多方の蔵の街の代表格ですが、利用について、停滞しているところですが、時々開放しています。座敷蔵は、その商家の旦那衆、文化として100のおもてなしを、あるいは旦那の所在のように、または旦那の趣味のように使っている感じです。これはもうまさに、皆さんがヨダレを垂らして、「私もああいう蔵が欲しいな」なんと言う、そういう使い方になっております。

あと、一般的にある蔵はみんな、衣装蔵は家財道具を入れたり、さまざまに、他の蔵は味噌や米を入れたりしています。それから桐ダンスのほか、嫁として嫁いだ時持ってきた行李が置いてあります。蔵にはいろいろなものが置いてあります。今時、これから新築の蔵作るっていうと、坪百万円でもきっとできない。百二十万円以上かかるだろう。またそれを作り上げる大工や左官の技術もだんだん失われてきている。ですから、今ある蔵、特に街の中、あるいはその在にあったりして、非常に点在できるような蔵はそっくりそのまま残して、まず皆さんに見ていただくようにしたいと。そこには商人たちが稼いできた、働いてきた証が見事に残っているわけです。この蔵っていうのはもう大変な財産なわけです。皆あのルネッサンス時代商人が盛んに活躍して豪華絢爛になっているわけです。喜多方も実は蔵がハードだけじゃなくて、その稼いだ商人たちがそこにアーティストを呼んできた。ハードとしての蔵、それからソフトとして蔵を利用して動かしていきたいと思っております。蔵を上手に使っていきたいなと思っています。

ハードとソフトの蔵

【赤坂氏】大和川酒蔵の昭和蔵でも色々なイベントを行ってきましたが、去年12月、寺尾紗穂さんという歌手のコンサートを行いました。すごく音が良かったです。彼女の歌、今も聞いていますけども、一番気持ちよさそうに歌っていました。後で聞いたら、「すごく音が良い、音響が良い蔵でした」と言われていました。別にこの蔵そのものが未来に歌手が歌うための音響が良いように作られたわけじゃないです。我々の時代今この蔵をそういう多様な目的のために使わせていただく時代に入っている。おそらく佐藤幹事長のお話の次にあるのは、その個人の蔵というものを越えて、例えば甲斐本家のように、みんなの蔵として守り育てていく時代。甲斐本家はものすごく立派です。ですから、とても個人の収入でそれを上手に転がして保全していくというのは難しい。途方もない建築物だと思います。そういう意味でも、今この時代に蔵は消されつつある。そして、それらを財産として喜多方の文化や生業やそうしたものに役立つために使わないと駄目なんです。崩れていくのを眺めていても、蔵の価値はない。最近は文化財養成というのがあり、完全に使って保全する。つまり昔の文化財とは違う、指定したら大事に大事に守りましょうみたいな。でも、守るのは人間なのに人間の暮らしがどんどん壊れていったら文化財を守れないです。そういう意味で、使って保全という時代になってきました。蔵もまさにそうだと思います。しかも、個人で支えきれない場合は、みんなの蔵としてそれを共有財産にしていくような、そういう時代になりつつあるのかなと感じています。

今日は、会津地方振興局長の髙野さんをゲストとしてお迎えしております。その振興局の立場としての、たとえば喜多方の支援をどうするかということやソフトの時代になりつつあるということで、この蔵というのはハードであるのと同時に、ソフトでもあるという意味合いを持った場所だと言います。高野さんの立場から、どういう風に喜多方の蔵を眺めていらっしゃるのか、どういう係わり方ができるのかなどを初めて聞かせていただくので、ぜひゆっくりじっくりお話しをいただきたいと思います。

【髙野局長】会津地方振興局長の髙野と申します。私はこの4月に会津振興局長に着任しました。10年前は会津大学におりまして、会津は二度目の赴任地です。「帰ってきたな」っていうところです。出身は二本松です。私の親父は養蚕技師だったので、あの蚕様と葉煙草の土地柄の所で育ちました。中通りのそんな立派な蔵じゃないですけど、農家には倉庫として使う蔵があり、私の小さい頃は親戚の家に行って蔵の中に入っていろいろ探すと宝物が出てくるので、昔はそういうのが楽しくていました。今日この会場に入って、先程来赤坂先生おっしゃいましたけども、音が、すごくいいですね。本当に「コンサート聞きたいな。今度ある時にぜひ聞きたいな」と思うところです。

喜多方には私が車の免許を取ったのが昭和59年ですので、その頃から友達と喜多方に来るようになりました。初めのころは市役所の周りとか。ちょっと初心者の私には恐かったところもあったりしましたが、その後どんどんアーケードも無くなって、街並みが綺麗になったなと思います。ただアーケードを無くすことに皆さんのご苦労があったと思いました。いろんな議論をして、ここまで美しい街並みになったのだと感じております。県としても、地下埋設とかいろんな協力はさせていただいているところですけども、まだまだこの喜多方の街は、喜多方建設事務所と協力しながら、魅力的な街づくりに力を入れていきたいと思っております。今、お話を聞いていると蔵というのは、やはり喜多方の文化ですね。感じているのはやはり喜多方の文化の柱、屋台骨というのはこの蔵じゃないかなっていうふうに感じます。と言いますのは、やはり文化というのは、赤坂先生の前で言うのはちょっとおこがましいですが、自然から、自然と人間の営みの中から生まれてきて、そこで作物を作り、そして第一次産業が生まれ、その農林水産物を作り、それを貯蔵する。それが蔵です。農作物等から商品が生まれて、商品として商売をする。そしてまたそれを流通させる。いろんな意味で蔵というものが活用されているところで、喜多方の産業を結び付けて、有機的に繋いでいるのがこの蔵であり、その蔵が柱になっている。いわゆる産業文化の一つと感じております。蔵なしで喜多方の存在はあり得ないと思っております。

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